AI で作るコストが下がった今、生き残る条件は「センス」になる
AI で作るコストが下がった今、生き残る条件は「センス」になる

AI で作るコストが下がった今、生き残る条件は「センス」になる

はい、どうもこんにちは佐藤です!

「AI で誰でもアプリが作れるようになった」という話を、もう何度聞いたでしょうか。X を開けば毎日流れてきますし、実際そのとおりです。私自身、数時間で動くものが出てくる場面を何度も見ています。

では、作れる人が一気に増えたあと、いったい何が起きるのか。

開発の案件を長くやってきて、自分でも色々作っている私の答えは……。

もちろん……。

センスです!

精神論を言いたいわけではありません。この答えは、歴史がすでに一度出しているものです。

その話を書いていきますね!


デジカメが出たとき、街の写真スタジオは消えた

カメラがデジカメになった時を思い出してみてください。

それまで写真は、フィルム代と現像代を払い、露出とピントを外せば一枚が無駄になる世界でした。つまり技術のハードルが高かったわけです。だからこそ、撮れる人は職業になりました。

ところがデジカメになって、そのハードルが一気に下がります。失敗してもタダ。何百枚でも撮れる。すると写真を撮るという行為は、大量に撮る中から選ぶ作業へと変わっていきました。

ここで台頭したのが、センスのある人です。

一枚を完璧に決める技術ではなく、無数の候補から「これだ」を抜き出せる目。そちらのほうが価値を持つようになったのですよね。

そして、その時に写真を仕事にしていた人の多くはクビになりました。

街に一つはあった写真スタジオが、今は大手チェーンだけになったのはご存知でしょう。七五三と成人式のときにだけ思い出す、あの看板です。個人でやっていた店は、どこへ行ってしまったのでしょうか。

今フォトストックを覗いてみてください。素晴らしい写真がいくらでも並んでいます。しかも安い。参入障壁が消えた市場の完成形が、そこにあります。

これまで写真で食べていた人は、腕が落ちたから職を失ったのではありません。技術の変化によって、腕の置き場所がなくなったのです。


もっと残酷なのは、絵が写真になったときでした

もっと言うと、絵が写真になった時のほうがインパクトは大きかったかもしれません。

写真が生まれる前、絵は写真の代わりでした。人物を残す、風景を残す、事件を記録する。現実を正確に写し取ることが、絵描きの仕事の中心にあったわけです。肖像画がまさにそうですよね。

ところが写真に移り変わってからは、絵描きは現実を書き取る仕事を次々と失っていきます。

そして絵は、芸術の領域になりました。

これは美しい話に聞こえますが、当時を生きた人にとってはどうだったでしょうか。「あなたの技術はもう不要ですが、代わりに芸術をやってください」と言われたようなものです。食えるかどうかは、まったく別の問題でした。

技術の革新は、今まであった技術のハードルを押し下げて、今までの職業を潰してしまう。

そして押し下げられたぶんだけ、新規参入者が一気に増える。

私たちが今いるのは、この構図のど真ん中です。グループウェアや勘定系の仕様書を書いてきた経験も、深夜に nginx を直してきた経験も、それ自体が価値だった時代は終わりつつあります。悔しい話ですが、歴史はいつもそうやって進んできました。

では、参入者が増え切った市場で、生き残る条件は何なのか。

冒頭に書いたとおり、センスです。ただ、それだけだと答えになっていませんよね。私はセンスには 2 種類あると考えています。


センスその 1:使いにくさに気づける目は、打席数でしか育たない

一つ目は、文字通りのセンスです。

先日、社内の業務改善アプリを作ってくれました。若手が AI を使って、驚くほど短期間で仕上げてきたものです。

ただ、お世辞にも使いやすいとは言えませんでした。

なんていうか、これまでの手間は変わらないまま、現場を混乱させただけだったのです。

本のページを捲るために、わざわざ仰々しい機械を設定しているような感じ。ページの隙間に物差しを差し込んで、ゆっくり持ち上げるような……。ページはたしかに捲れます。捲れるのですが、指でいいよね、という話です。

動かないわけではありません。仕様どおりです。テストも通ります。それでも現場では使いにくい。

これがセンスの正体だと思っています。動くかどうかではなく、使えるものになっているかを判定できる目のことです。

そして厄介なことに、この目は勉強では手に入りません。

どれだけ打席に立ったかがものを言います。自分で作って、現場に置いて、使われずに放置されて、「使いにくいな」と言われる。あの気まずい沈黙が、そのまま己の血肉になっていくのです。

だから若手を責める気はまったくありません。彼はまだ打席が足りていないだけで、これから何度も同じ思いをして、そのたびに目が良くなっていくのでしょう。私が通ってきた道でもあります。

むしろ怖いのは、打席に立たなくなったベテランのほうではないでしょうか。AI が作ってくれるからと自分で作らなくなった瞬間から、この目は錆びていきます。写真を撮らなくなった写真家が、良い一枚を選べなくなるのと同じことです。


センスその 2:新しい技術が出たときこそ、設備に投資する

二つ目は、もっと即物的です。設備投資ができるかどうか。

デジカメ時代になったとき、知り合いの写真家は容赦なくハードディスクに投資しました。当時のハードディスクは高価でしたし、周りからは「フィルムのほうが確実だ」と言われていたはずです。それでも彼は買いました。

大量に撮って、大量に保管して、その中から選ぶ。その働き方に必要なものが何かを、正確に理解していたのですよね。

その方は、定年まで写真家でいました。

技術への投資は、新しい技術が出てきたときにこそ必要となるのです。落ち着いてから買おう、では遅い。落ち着いた頃には、その設備を前提にした戦い方をする人たちが市場を埋めています。

では、私たちにとってのハードディスクは何でしょうか。私はこう考えています。

  • さまざまな AI を試すこと。一つに決め打ちしない。手を出した数だけ、得意不得意の地図ができます
  • 上位プランに課金すること。ここをケチると、試行回数が減ります。減った試行回数は打席数の減少に直結します
  • モデルを使い分けること。考える作業と、手順が決まった作業を同じモデルに投げない
  • いつでも回せる環境を準備しておくこと。思いついた瞬間に試せない環境は、それだけで機会損失です

見ていただくとわかるとおり、二つ目のセンスは一つ目のセンスに効いてきます。設備が整っている人は、打席に立つ回数が桁違いに増えるからです。

コストの話をすると「月に数万円は高い」という声を必ず聞きます。ですが、写真家がハードディスクを買ったのと同じ話ですよね。あれは支出ではなく、次の時代で戦うための設備でした。


まとめ

というわけで、AI で作るコストが下がった今、勝負を分けるのはセンスだよ! って話でした!

そのセンスは、打席に立った数と、新しい技術への設備投資でできています。どちらも才能ではありません。行動です。

デジカメのときも、写真が生まれたときも、消えたのは腕の悪い人ではありませんでした。ハードルが下がったあとの世界に、自分の腕を置き直さなかった人です。逆に言えば、置き直した人はちゃんと定年まで生き残っています。

まずは作ってみる。そして設備に投資する。

やることはこの 2 つだけなので、ぜひみなさんも今日から打席に立ってみてください!

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